とくに「尊重(respect)」という語をキーワードにして展開されている議論。
いくつも論点があるが、ここでは、この文脈でもあまり展開されていないけれどもおそらく「平等の価値」をめぐる議論にも関連する論点として、「自尊(self respect)」と「等しく尊重される状態ないし立場(equal respect-standing)」の区別について。
「自尊」はロールズやドゥオーキンも重視している概念だが、ジョナサン・ウルフ(1998)は、「自尊」が「自信(self confidence)」とほぼ同義で用いられうるのに対して、他方の「等しく尊重される状態」とは「他の人々が私に対して持っている尊重の程度(degree of respect other people have for me)」を指すと述べている(Wolff 1998: 107)。
ウルフ自身もそれ以上展開しているわけではないが、両者の区別を強く解釈すれば、「自尊」との違いは、後者は「人の態度」に着眼しているという点にあると言えるのではないか。「自信」は、明らかに、自尊感覚あるいは尊重されているという経験に依拠している。それに対して、後者は尊重するという行為ないし態度に力点があると見ることができるかもしれない。ここでさらに、その態度の宛先となっている個人の経験の質――自尊感覚――等に必ずしも言及しなくても、この態度そのものに価値があると言えるかどうかは興味深い問題である。たとえば、新生児や意識不明の人など、当人が「自尊」感覚をもたないように思われる人に対しても、周囲がその人を尊重する態度をもっていること自体に価値がある、と言えるのかどうか。直観的には、やはり価値があると言えると思われる。
もしそう言えるとして、たしかに「社会状態の評価」という観点からは、それはあまり意味がないかもしれない。ただ、「等しく尊重される状態」が、当人に経験/感受される「善」には還元されないような種類の価値をうまく表現しているとすれば、それは、厚生主義や資源主義に対する批判の根拠になると同時に、たとえば「平等」の「非個人的価値」を考える際の示唆になるかもしれない。
Anderson, Elizabeth 1999 "What is the point of equality?" Ethics 109: 287–337
Wolff, Jonathan 1999 "Fairness, respect and the egalitarian ethos," Philosophy & Public Affairs 27:97-122
――― 2002 "Addressing Disadvantage and the Human Good," Journal of Applied Philosophy, 19-3: 207-218(「不利への対処と人間の善」菅原寧格・長谷川晃訳『北大法学論集』57(1): 424[85]-403[106] 2006)
――― 2010 "Fairness, Respect and the Egalitarian Ethos Revisited," Journal of Ethics 2010 (14): 335-350 (G. A. Cohen 追悼特集)
Hinton, Timothy 2001 "Must Egalitarians Choose Between Fairness and Respect?" Philosophy & Public Affairs 30-1: 72-87
Miller, David & Walzer, Michael 1995 Pluralism, Justice, and Equality, Oxford Universty Press
・Res Publica 12-1 2006(Respect 特集より)
Middleton, David 2006 "Three Types of Self-Respect," Res Publica 12-1: 59-76
Armitage, Faith 2006 "Respect and Types of Injustice," Res Publica 12-1: 9-34