この項目では平等主義(egalitarianism)に関する近年の議論を紹介します。
平等主義をめぐる論点については、Egalitarianismの序文におけるリパート-ラスムッセン等の整理、何の平等か(what問題)、誰の間での平等か(who問題)、いつの時点で平等にすべきか(when問題)、なぜ平等なのか(why問題)が有用。
「what問題」については、平等の指標をめぐって厚生主義・資源主義・ケイパビリティ論・厚生に対する機会・利益に対するアクセス等をめぐる議論がある。「who問題」では、人間と動物、個人か集団か、未来世代も含むのか、国内かグローバルか等が問題になり、「when問題」では、人生全体かある時点毎の状態を考えるべきかどうかが問題になる。「why問題」とは、「優先主義」や「十分性説」による平等主義批判に対して「平等の価値」を擁護できるか否かという論点をめぐる議論である。「5W1H」という枠組みで考えるならば、「where問題」はないが、それは国内かグローバルかという論点として「who問題」に含まれている。 また、この整理では「how問題」は立てられていないが、それは、いかにして分配するかという分配的正義の問題として(「why問題」とも連動する形で)、功利主義的最大化・優先主義・十分性主義などと平等主義との選択問題として位置づけられていると言える(同書でもS・ハーレーがそう論じており、また、Anderson 2010はこれを「分配ルール」問題として論じている)。
とはいえ、「how問題」は、分配的正義論内部の問題としてではなく、多元的正義論(多元的平等論)関係的平等論・社会的平等主義などと分配的正義論との間の論点を扱う問題として位置づけることもできるだろう。この点、リパート-ラスムッセン等は、多元的正義論や関係的・社会的平等論等をリベラルな分配的正義論(≒分配的平等主義)に対する批判者として位置づけているが――この見方はW・キムリッカの教科書とも重なる(訳書 287-90)――、これについては議論があるところだろう。