ジュディス・トムソン事例の拡張可能性を探ってみる
まず、以下では、「胎児」は我々と同等の道徳的地位をもつ、ということを前提にする。もちろん、「胎児」の道徳的地位については、それ自体が検討考察すべき対象ではあるが、以下では、仮に胎児を完全に人間と同じ地位をもつことを前提にしたとして、それでも考えられることを確認しておきたい。
AとBは、キャッチボールをしたいと思うとする。AとBが練習しているグラウンドのすぐ隣の公園では子どもが遊んでおり、トラックにはランニングしている人がいる。AかBが投げたボールが逸れて、ランニングしている人(あるいは公園で遊んでいた子)Cの腹部に偶然当たってしまい、Cは内臓破裂を起こしてしまう。ありえないかもしれないが、その人は(生体間の)肝臓移植を受けなければ助からない状態になってしまう。Cの家族を含めて周囲で、AとBだけが偶然Cの組織と適合しており、移植が可能である。
もう少し事故の確率が低い事例。AとBはグラウンドでキャッチボールをしている。Aが投げたボールがたまたま逸れて、道路に転がって行ってしまう。そこを偶然通りかかったCは、このボールを避けようとして転倒し、内臓破裂を起こしてしまう。以下同様。
さて、移植をせずに、Cは死んでしまう。AとBは、合理的に考えて事故の可能性を十分に予測できたとすれば、過失致死に問われるかもしれない。
他方、AとBは、Cがまだ生きている段階で、Cを救うために臓器を提供する「法的義務」がある、と言えるだろうか。言えないだろう。
もっと極端な事例。AとBはギャングであり、無辜の市民Cから金を奪うために、ナイフで刺す。Cは内臓破裂を起こして救急車で運ばれる。AとBは現行犯逮捕される。ここでも、Cは、腎臓(肝臓でもよい)移植を受ければ助かるが、移植を受けなければ確実に死んでしまう状態にあるとする。さらにここでも偶然、AとBだけがCに適合する組織・血液型等をもっていたとする。AとBには、Cを助けるために腎臓を提供する法的義務がある、と言えるだろうか。Aたちの罪は、彼が提供すれば「殺人未遂」に留まるが、提供しなければ殺人罪になる。AたちにCへの提供を「説得」することはありうるだろうが、それを法的に強制すべきだと言えるだろうか。
最後の犯罪の事例は、相手の怪我に対して完全に責任があったとしても、その人を救命するために身体に侵襲性のある負担を法的に強制することはできないだろう、ということを確認するための話である。この事例はとりあえず措いておくとして、上二つの事故の事例のようなケースと、望まない妊娠の事例とをどこまで重ねることができるか。
以上の例では、Cは、AとBが何もしなければ、または危険が予測されていたとして「過失」がなければ生き続けていたが、中絶のケースでは、胎児(c)は、AとBの「キャッチボール」がなければ存在しなかった。また(犯罪の例は別として)、事故の際の「過失」の大きさと、避妊をした性行為の過失の大きさをどのように見積もるかによっても、評価は変わってくるかもしれない。 また、臓器提供と妊娠継続・出産の身体的負担・リスクを比較し、両者をどのように評価するか、に応じても変わってくるだろう(臓器移植を、継続的な輸血が必要で、献血を7ヶ月間ほど定期的に強いられる、といった事例に変えてもよいかもしれない――もちろん、いわゆる「献血」は三ヶ月は空けなければならないとされているので、このあたりもコントロールする必要があるが)。
これらの違いは、被害者Cに加害者が臓器を提供しないことと、胎児を生かさないこと(中絶)を同列に並べることはできない、と主張する理由になるか。その場合、どちらが「罪深い」と考えられるか。
誕生の原因をつくった者には、その相手に対する生殺与奪権がある、などと言うことはできない。とはいえ、cを生み出しておいて死なせることと、すでに存在しているCを死なせることには違いがありそうだ(「誕生の哲学」のような考察が必要かもしれない)。
胎児の場合、生かし続けるために、AかBのいずれかがすでにcに対する身体的負担を負っている。この負担を回避してcを死なせることと、AとBのいずれかがCを生かすために臓器を提供する負担を回避して、Cを死なせることは同じか。
もし「同じ」だとすれば、AとBにはCに対する臓器提供の法的義務がないのと同じく、AかBのいずれかにはcを妊娠し続ける負担を負う法的義務もない、ということになる。
ところで、AとBの相互行為を原因とする事故で、第三者のCが死んだ場合、遺族が民事訴訟を起こして、慰謝料・賠償が要求されることはある(実際、上記の事故に似た事例で、子供(の親)に対して、遺族への1500万円の損害賠償が命じられたことがあるようだ)。
では、キャッチボール事故の場合、AとBには懲役刑や罰金が科されることになるのだろうか。交通事故の場合は懲役も科されうる。胎児を中絶した場合はどうか。第一の事例と類比できるか、あるいは第二の事例が適切か。それとも交通事故のようなものになるのか。たとえば罰金が科される、ということになるのだろうか。
仮に、キャッチボール事例に類比するのが適切だとして、その場合、Cが死んだとしても民事の損害賠償だけだとすると、中絶も同じだ、ということになるかもしれない(国家による刑罰は課せられない、ということになるかもしれない)。
※ 未完。